ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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珠城美和

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描かれ続ける、ということの重さ、大切さを、アニメの一コマに見出したりするときがあります。
鋼鉄ジーグ」の続編、50年後を描く「鋼鉄神ジーグ」には、先の物語のヒロイン、卯月美和にそのまま50年の歳月を負わせ、登場させているのですが、その姿には感動します。
ご都合主義を通用させず、貫こうとするものがあるのなら、堂々とそれを示していこうという意志の成すものです。
永井豪先生から生み出され、多くのアンカーに引き継がれていった作品たち。
実に、豪先生の作家生活が半世紀を迎えるものだという符号にも合致するのですが、それらのうち、受け継がれておおきく伸長していったものの多くが、そのほぼ初期の作品ばかりだというのもおもしろい。
つまり、そこには間違いなく、ヒトのこころを射抜く真摯な「ホンモノ」があったという証なのでしょう。
当の永井豪先生ご自身は、幼いころ「月光仮面」の大ファンだったとのこと。
その豪先生の作品に、月光仮面のパロディ、「けっこう仮面」という、川内康範先生が激怒しそうな作品があります。
しかし現実的には、康範先生は怒っていません。
豪先生が作品のことで挨拶にいってスジを通したから、と言われてはいますが、ほんとうのところはわかりません。
ただ、おそらくは、世の中に生まれたものが、よくも悪くも変化を受け、扱われることを康範先生は寛容に楽しんでいた、ということだけなのだと思います。
康範先生の、すじみちを大事にする思いは、世の中では結局、森進一事件でのネガな部分だけがとりあげられ歪んで伝えられてしまいましたが、これはとても残念なことだと思いました。
森進一さんに対し、川内康範というひとりの人間が、その人間力でもってどのように接し、大切に考え、どうふるまったかをこそ、ひとびとは知るべきなのに、と、ほんとうに残念でなりません。
いまのひとたちは、川内康範というひとつの時代を担った巨魁のことをあまりにも知らなすぎる。
グリコ・森永事件などはその典型です。
いったい、どこの誰が、私財をなげうってまでして現実の犯罪に立ち向かうというのでしょうか。
いろんなひとが、建前で「ゆるせない」とは言うのです。
でも誰もなにも行動なんてしない。
川内康範先生は、実に、ほんものの正義のあり方を担おうとしたヒトでした。
あ、ちなみに、康範先生のおはなしによると、月光仮面のモデルは大山倍達さんだそうですが。
さて、いま、豪先生は、まさにあのときの川内康範先生の立場にあり、現実に多くの2次創作を許容している姿があります。
豪先生の生み出した物語が、キャラクターたちが、その種を蒔かれ、はぐくみ、大切に思ったひとびとによって開花しようとしています。
かえりみてこれは、10年後の「チョコレートファイター」の姿だということに気づきましょう。
優れたコンテンツは、歳月を追い、それを貫きながらも生き続けるのですから。