ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

キャスティング 1

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2004年の映画「キューティーハニー」で主人公如月ハニーを演じた佐藤江梨子さん。
当時の何誌かに渡りみかけた製作記事のなかで、表現は微妙だけど、つまりは彼女のキャスティングが「代役」からのスタートだったことを記したものがあります。
プロモーションの促進、主題歌の大ヒット、興業の失敗と、この映画、いろいろ言われたけれど、こうして年月がすぎてしまえば、結局はサトエリハニーの元気なビジュアルイメージだけが印象として残った作品にほかならなかったと思います。
こう書き出しておいてなんなのですが、わたし、別にサトエリさんのこと、そんなに好きではありません。
それでも公平なめでみて、この「キューティーハニー」という作品に挑んだ彼女の努力の姿は評価されてしかるべきものだとは思っています。
何かそこに、積極的なものを感じるからです。
ちょっとまえですが、勇者ヨシヒコでルイーダを演じている彼女をみましたが、なんというか、サトエリさん,コスプレが好きなんじゃないでしょうか、見ていてそれはそれで楽しいのですが。
つまり、大事なことはそこなのです。
その役を担うものが、その役をほんとうに好きになれるのかどうか、そこに尽きるのだと思うのです。
代役からのスタートであろうと、その役を、こころよく受け入れ、こころみを愛することで演じて行くこと。
そこからしか、「表現する」ということは成立しないのだと思います。
この映画の失敗は、よくみれば誰にでもわかることですが、まずは脚本の未熟、そしてキャスティングの失敗にあります。
にもかかわらず、サトエリ・ハニーがいまなお、支持され愛されているのは、この作品にせいいっぱいの思いでぶつかっていった彼女の思いがそこに見て取れるからなのではないでしょうか。
キューティーハニーの魅力は、明るく快活な笑顔をくれる女子が、正義のために剣を振るう、真摯なひとみの女戦士に変身し、歌舞伎の名乗りのように大見得を切るというカッコよさまでの流れにあります。
豪先生の作品ですから、幼いお色気も忘れてはいません。
当時、彼女はインタビューで、下着姿で街中を走り抜けるというシーンのために、いやらしくなく、でも女子としてあられもない恥ずかしい姿だ、という面を魅せることで演じられる下着姿ってどれだろうと、監督と相談して悩んで選んだというはなしをしていました。
それでいいのだと思うのです。
グラビアアイドルで活躍していた彼女に、制限のある映画という世界のなかでただ露出をあげさせることに、どれくらいの「見る価値」があるのか、と想像するとき、そうした露悪的な表現は、時間とともに痩せていくばかりだったことでしょうから。
実際、そこでバランスをうしなわなかったおかげで、全編をとおしてサトエリハニー、元気な印象をつくることに成功しているのです。
でも、残念ですがそこまで。この作品の興行的な失敗には、彼女を除く他の配役の奥行きの欠落がおおきく透けてみえてしまうのですね。
ただ、闘ったのは「彼ら」です。文句なら、外野はいくらでも愚痴のように連ね重ねることはできますが、それはそれだけのこと。それよりも、そうしてなお「残せたもの」が生れたことをこそ、評するべきなのでしょう。
愛すべきことだとおもいます。
かえりみて、ジージャーで言う「レイジング・フェニックス」が、わたしにはこれと似たレイアウトをもった作品であったように思えるのですね。