ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

物語りの終わりに。

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たゆまず、嘘と揶揄されそうな見本の繰り返しのなかに「希望」を描き続けること。
これが生きていくということなのでしょう。
かえりみて、実は「映画」というものの役割も同じであり、物語りとはこれほどに重い「娯楽」であるのだと、わたしは思うのです。
発しない声、それは実は「積極的な否定」なのだということ、おぼえておいてください。
カンケイない、なんてどこにもありません。
あなたが生きていくなかのすべてのできごとは、あなたがこころに感じたことの「再現」です。
すべて、関わりのなかでのこと。
どれかだけが都合よく神サマのお目溢しになるなんてことは、その実、ありえないのです。
なぜなら、あなたが知ることとなるあなたの神サマとは、あなたが感じ、感動したその「あなたのこころの仕組み」そのもののことなのですから。
あなたがジージャーを応援しようとするキモチの組み立ては、その実は、あなたがあなた自身を鼓舞し、夢に向かって自分を邁進させる仕組みと同じことなのです。
応援というものの正体、それは、あなたの「勇気」が試される機会だった、ということです。
ベストは尽くせましたか?