ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

映画と「母親」とジージャーと

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これからはママとしても活躍することとなるジージャーですが、映画作品としてこのことがどのくらい反映されるのか、というのは未明のことですね。
ほかでもありませんが、「チョコレート・ファイター」で獲得した「イノセンスな少女」というイメージが強すぎます。
「ジャッカレン(バッドアス)、」にしてみても、やっぱり「女の子」のイメージがすべてであって、「オトナの女性」ですらありませんし。
でも現実的にはもうすぐおかあさんなのです。
バイオハザードのシリーズで有名なミラ・ジョヴォビィッチさんがいます。
彼女は「女性」という印象が前に出てしまい、母親であることがイメージしにくい女優の先輩です。
でもそのミラでさえ、「リセット」という映画では積極的に「母」とはなにか、を演じているのですが、この映画、とてもしっかりした人間ドラマになっているのですね。
大作ではありませんが、子どもを授かる、ということを突き詰めていけば、自分の生き方や考え方がそのまま子どもを育んでいくことなのだということを如実に描く作品なのです。
「母」の愛を語ることを、誰の視点に基づいて描き、それを負うかということは、その女優の価値観や人生すら変えてしまうこともあるでしょうね。
亡くなられた日本の大女優の高峰三枝子さんは、テレビドラマ「人間の証明」で、犠牲にした息子をさらに追いやり、もうひとりの不肖の息子を命懸けでかばうという母を演じました。
そのころ、高峰さんは実生活で息子さんが現実に問題を起こしている最中でした。
テレビドラマ「人間の証明」の高峰さんの演技は、何十年も経たいまなお、わたしの胸に迫るものを残しています。
観るものにとってすらそうなのです、そういう役を演じきった女優さんの心中はどれほどのものだったでしょうね。
韓国映画でキム・ヘジャさん主演の「母なる証明」という作品があります。
物語りの種明かしはここでは避けますが、この作品もまた、生きていくということ、母であるということを深く考えさせられる作品です。
わたしは偏っているので、私見として「母」という存在は、そんなふうにさまざまなものを負ってなお、明るく気丈にふるまう存在であって、そうでないひとはただ個人であり「女性」である、としか思えないというところがあるのですが、それでも、母は強し、ではあるとおもってもいるのです。
母になる、ということは、ほんとうに大変なことだとおもっています。
そのことが、これから先、ジージャーのなかでどのように根を伸ばしていくこととなるのか。
とても大きく重いことなのだなあ、と、お正月中考えてたりしました。
ともあれ、出産の控えているジージャーです。
まずは安産をお祈りするばかりです。