ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

感想の勝手さ 1

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いろんな作品に対していろんな意見や感想が生まれるのは当然のことですね。
ただ、むかしといまでは、ネットによる情報の氾濫という点で、ひとりの人間の発信する思いの重さは、なんというか公平感においてはずいぶん変わってしまっていると感じるところなのです。
なんのお話しか、というと、まあ、「悪口」の横行についてなのですが...
先日、エヴァの最新作が劇場公開されました。
案の定、ブッ飛んだ内容で、ファンのほとんどがついて来れていません。
これって、実はスゴいことです。
でも、ついて来れないということがコンプレックスに転じそのまま「作品の評価」になってしまうというのは、やっぱり短絡的にすぎるしおかしいのではないかなあ、とおもうのですね。
自分のためにわかりやすく説明して、というのも、まあ、アリなのかもしれませんが、わたし、こういう風潮って、「テレビ画面に流れる説明テロップ」のようなもので、自分のアタマでモノゴトを考えることが出来ない人間をつくっていくばっかりなのではないかなあとも思っています。
見ていることが、自分のこころだけでは理解できず、未熟への同意をもとめるために意見ともいえないような妬みや愚痴を発信する。
そんなもの、故のないただの「悪口」でしょう。
ルパン三世 Green vs Red」がそうだったのですが、わかりにくいことが「悪」にされてしまう空気ってありますね。
作品の評価にかぎりません、ジージャーのことにしても、妊娠から出産を待ついまを、ひやかしや他意で乱暴な吐き捨てのコトバで括る無責任でこころの無い輩が出始めています。
バラエティー番組のスクープで流れるナレーションのような、そんなくだらないいいかげんさで大事なものを評されるのは、ファンには笑えない不愉快なものです。
わかりにくいことや、未知なものに向き合うときに必要なものは、なによりも、磨かれた「自分自身の感性」以外にないとおもうのです。
その感性が痩せていれば、残念ながらやっぱり、伝えられようとする「モノゴトの本質」はつかまえられないことでしょうね。