ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

それからのジージャー 4

イメージ 1

ジージャーの問題に限らず、プロモーションというものの要は
誰に向けて
どの特徴をどのように伝え
何を刈り取るのか
が見えていないと成功しないというのは普遍則であり、誰の手にかかろうとも変わらない原則です。
その点から考えると、現在のジージャーのプロモーション、たしかに「詰めが甘い」と言えるかもしれませんね。
ピンゲーオ監督がもし明確にメジャーを狙うのであれば、ジージャーの存在は、もっともっとフォーカスされた層を定義して演出されなければなりません。
ジージャーの魅力は誰に向けて発揮されるものなのでしょうか?
もちろんいまは、さまざまな人々、たくさんの観衆、というこたえがかえって来る状況だと思います。
これが間違いなのです。
相手が見えないビジネスではダメなのですね。
たとえばハリウッドの大作は、結果として大衆に受け入れられているだけであって、ビジネスとしては緻密な計算の上に立った狙いをもっているものなのです。
近々の一例をあげれば、「アベンジャーズ」がそうでしょう。
関連する作品の事前の用意と、そこへのリンク。
これはいまの20代から40代くらいまでの、コミック世代と映画マニアの折衷を狙いながら、娯楽大作としての趣で「家族」を巻き込むマーケティングにもとずくビジネスなのですね。
では、ジージャーの場合はどうでしょう?
わたしは「チョコレート・ファイター」をたまたま受け入れましたが、そこには「自閉症」と「アクション」というキーワードがあったからです。
そしてそののちに、ジージャーのことを深く感じることに至っているのです。
でも、多くのひとにとってこの映画は、少女のアクション映画という括りから触れるに至るのが関の山で、捜し当てられるにはどうにも縁遠い立ち位置の作品であることも事実なのです。
しかしこれは1作目なので、許容されもします。
それはいわゆる「宝探し」の様相を呈するからですね。
わたししか知らない、スゲぇ映画見ちゃった、で、済むからです。
口コミでもなんでも、「あの映画がスゴい」となれば、それはそれで文化を生んでいったりするもので、そこまではまずは順当な道行きだとしましょう。
しかしそのあとはどうでしょう?
よく考えられ、よく練られ、しっかりと地に足をつけた展開が、ジージャーのために用意されていたと言えるでしょうか。
思うに、いまのところはそうとは言えない流れが感じられ、わたしは残念に思ってしまうのです。
映画の乱発は望みません。
それでも、この女優をこう育てよう、ということを真剣に考えるのであれば、いまのところジージャーにとってそのような作品は、「チョコレート・ファイター」と「ジャッカレン」の2作のみと言えるのではないかとも思うのです。
もちろん常々言っているように、10の作品が集まれば、それぞれの作品の中でしか出会えないジージャーの存在が見えてくるものであって、いずれも「失敗」とは括れないことにはなるのです。
みなが熱心に作り上げていく作品たちに、無駄なことなどありません。
ただそれは、ひとりの女優の成長を危惧してのプロモーションという点から見たときに及第点があげられるものだろうか、となると、それは別問題なのです。
現実に世界発進の遅れている現状は、そのままジージャーの今後へのヴィジョンに、AKB48ほどの緻密な計画が伴っていなかったということの発露です。
しかしピンゲーオ監督はとてもしたたかな方で、実は先だって日本にもロケハンに来たりしていますが、そうした経験の中で、何も感じないで帰られるような人物でもないのです。
おそらくですが、今年以降、ジージャーの周辺はあわただしくなって行くことだと察します。
それは映画の撮影に忙しいとか、そういうことではなく、です。
映画というビジネスに、きっちりとマーケティングを絡めていく。
ピンゲーオ監督なら、やらかしてくれそうですし、仮にそうならないときにも、賢明な方なので誰か優れたもうひとりの育ての親役を見つけ出すくらいのことはしてしまいそうですね。
ジージャーも、マーケティングで管理されていくのでしょうか。
まあしかし、現実にそのような展開になってしまったら、どうにもキュークツだというのも本音ではあるのですが...