ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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涼宮ハルヒの消失 3

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このブログをご覧になられてるみなさんの中で「涼宮ハルヒ」シリーズをご存じの方はどのくらいいらっしゃるのでしょう?
名前くらいはご存じかもしれませんね。
このお話のヒロインは、ある日お父さんに野球の試合を見につれていかれ、球場にひしめいていた人間の数を目の当たりにして、「なんなんだろう、これは」と感じてしまうのです。
こんなに人間がいっぱいいたら、自分のことなんてちっぼけすぎて意味がわかんなくなってしまう、と。
生きていく意味、存在することの意義、すべてがちっぽけすぎだ、と。
で、ここでフツーのひとであれば、そのスケールから想像する宇宙の壮大さに呑まれてソコに組み込まれてしまうように「こころ」が負けてしまうワケなのですが、彼女の場合は違ったのですね。
彼女のこころの叫びは大きくなるのです。
「わたしは、ここにいる!」と。
そうすると、宇宙のすべてに逆転現象が生じはじめてしまうのですね。
宇宙と個人の相対の綱引きの中で、彼女は宇宙の法則のすべてを「こころのちから」の強さで引き倒してしまうのです。
かくして、彼女は自分も知らないウチに、「宇宙の中心」になってしまいます。
で、この異常事態を制御するために、時空の果てから、人類の未来から、現実の現在からそれぞれエージェントが送り込まれ、彼女の観察がはじまるワケです。
どう思いますか?
このお話は「涼宮ハルヒ」の同級生である主人公のキョン(本名は不明)が、ハルヒの冒険に強引につきあわされる感想を綴るカタチですすめられる物語です。
ハルヒの暴走に、キョンはいつも悩まされるのですが、この映画版のエピソードの回で、キョンはあることに気がつくのです。
変化にとんだ日々が退屈であるはずがない。
そういう日々がおもしろくないはずがない、と。
憂鬱な日々を楽しいものに変えて行くのは、ヒトのこころのシゴトなのですが、別に心がけたり目指したりして得られるものでもありません。
ただ、気付きがそこにあるだけなのです。
わたしもハルヒに習って「おもしろいことをしに行きたいなあ」と思います。
退屈を買う必要なんてないのですから。
いろんなトコに潜んでいる楽しいことを見つけていきたいなあと思います。
ハルヒに習うところも多いのですが、まあ、身近にハルヒがほんとうにいたら、それはそれでやっぱり迷惑な存在でしょうね(笑)。
ああ、ものすごく思い当たるヒトが身近にいるなあ(笑)。