ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

スタンダード 2

イメージ 1

映画「燃えよドラゴン」は、その公開直前に主演のブルース・リー自身が亡くなっており、彼の世界配給の最初の作品と、話題の面でも盛り上がりは十分であり、現に日本でも大ヒットとなっています。
にもかかわらず、中国人はこの作品をそれほどには理解もしなかったし、受け入れもしなかったということです。
いろんな説明が施されて来ました。
わたしが考えるところですが、おそらくはそれは文化の違いの問題だったのではないかなと思うのです。
西洋人や日本人をなぎ倒すような爽快さこそ、当時の中国人が娯楽としての映画に望んだものであって、リーの考え方が反映されすぎたこの作品には、そうした短絡的な娯楽の要素の匂いが薄かったからなのではないかと思うのです。
もちろん、映画は興行的に成功しなければいけないもの。
商業としての映画は、観客の需要を満たし、ヒットしなければ意味がないものだと括られます。
ただ、長い年月を掛けての「作品の本質」を見極めるような流れの評価においては、ただ儲かった作品であったかどうか、などということは逆に評価判断の要素においては希薄なものとなってしまうことでしょう。
いえ、もちろん、ヒットしたということ自体は、マスコミを賑わすためのコンテストであれば大きな評価判断の軸ではあるのでしょうが。
ただ、映画というものは、それだけに終わるものでもありません。
この作品は、いまなお、多くの人々に感動とエネルギーを与え続けています。
この事実はとりもなおさず、この作品の中に多くの人々が、魂に語りかけてくる普遍の「種」の存在を感じ取ったからだということにほかならないでしょう。
スタンダードとなりうるものとは往々、こういう骨太な、そしてシンプルなものであるようです。