ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

スタンダード 1

イメージ 1

多くの映画作品の中には、歳月を掛けて理解が熟成されるという類のものがあります。
アラビアのロレンス」ですとか、邦画で言えば「七人の侍」とかのように。
新規のファンが生まれて、どの時代においても話題となり、研究されたり特集されたりする対象の作品ということです。
格闘技を扱うアクション映画においても、こうした対象となる作品はいくつかあります。
代表作はやはりブルース・リーの「燃えよドラゴン」でしょう。
この映画を契機として生まれたさまざまな事象や文化のことを考えると、いかにこの作品が偉大であったかということを思い知らされるばかりです。
「カンフー」という言葉は、実際にはこの作品から定着して行くこととなるものです。
撮影当時のこと、ハンの島の武術大会に集まるエキストラの多くは、実際のゴロツキを集めて構成していたのだそうです。
中にはリーに対して挑発を繰り返す者も多く、これに対してリーは、なんと、応じてやっつけてしまうのです。
感服してすっかりリーの信者になってしまったエキストラたちは、オハラ(ボブ・ウォール)がビンで襲いかかるシーンで誤ってリーに怪我を負わせたときなどは、ウォールを殺せ、と大騒ぎを起こしたとのことでした。
熱というか、思いというか。
積み上げられてきたそうしたリーの中のエネルギーが、この作品には脈々と息づいているのを感じます。
しかし、この作品をよく見てください。
たとえばそのストーリーは、ほとんど何のひねりも無い、単調で単純なものです。
しかしその物語の中に折り込まれるアクションの現実こそが、間違いなく「無限の説得力」を備えているために、こうして何十年を経ても語られることとなっているワケです。
この作品の中に潜む「種」は、恒久普遍のものとなりました。
ヒトを感動させる「種」が、ここにあるのですね。
繙かれるごとに、新鮮な感動を伝えてくれる原因が、ブルース・リーという人間の模索し辿り着いた思想の再現が、フィルムの中に宿っているのだということなのです。
実は当時、香港ではこの作品は、前作の「ドラゴンへの道」を超えるヒットには至っていなかったのです。
何故でしょう?