ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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それぞれの評価

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映画評レポートで、高崎俊夫さんという方が映画「チョコレート・ファイター」を以下のように評していらっしゃいます。
うーん、ビックリですね(笑)。
ヒトそれぞれ見方はあるわけですし、つまるところ誉めていらっしゃるので、どこからもクレームもこないのでしょうけど、うーん、「脳の気質障害」は「欠損」なんでしょうかね?

『この全身、生傷だらけの美少女が、肉体を極限まで駆使して闘うムエタイ・アクション・ムービーは、その独特の悪夢めいた感触において永く記憶されよう。映画は、日本のヤクザ、マサシの「私は傷のあるものに興味を持つ少年だった」という謎めいたナレーションで始まる。
マサシはタイ・マフィアとの抗争中に、眉に傷のあるボスの情婦ジンと恋に落ちる。ボスの報復を恐れたジンは、マサシを帰国させ、秘かに女の子を出産する。生まれつき脳に欠損を抱えた少女ゼンは、成長するにつれ、常軌を逸した身体能力を発揮し始める。
ゼンが白血病で倒れた母親の治療費を稼ぐため、母がかつて金を貸していた奴等を相手に、取り立てに奔走する設定が泣かせる。
自閉症の少女が不条理と悪意に満ちた世界と対峙し、克服するための唯一の武器は、その一見、か細い肉体だけなのだ。』

ああ、コレって、サラっと書かれてるけど、厳しいなあ。
自閉症の少女にとって「唯一の克服手段」なんだ。
なんだかゼンって、もっとふつうにあどけなくてかわいかったりするんだけどなあ。
コトバの綾だとは察するのだけど、まあ健常なヒトからしたら、自閉症者の世界って悲惨で救いの無いものなのかもしれませんね。

『製氷工場では氷塊の破片が飛び散り、精肉工場では肉切り包丁が乱れ飛ぶ。闘いが過酷さを増し、彼女の身体に無数に刻まれた傷跡が、あたかも聖痕のように神秘的な輝きすら帯びてくるのがすばらしい。
キル・ビル」の青葉屋を彷彿させる日本間での身障者ファイターとの決闘などは、まるでグロテスクな舞踏を見ているようだ。タランティーノキッチュ趣味を凌駕し、ここでは、悲壮美に満ちた夢魔の世界に一挙に踏み込んでいる。さらに飲み屋街の壁伝いに延々と続くボスとの死闘に到ると、もはや、茫然自失してしまう。アクション映画史上に一時代を画する傑作の誕生だ。』

チョコレート・ファイターって、この評に喚起されて見にいったとしたら、なんか違わないかなあ、という気がしてしまいました。
グロテスクな舞踊なんだ。うーん..
まあ、傑作というのは同感なんですけど。