ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ジージャーを応援

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ジージャーのまわりにいろんな新たな動きが訪れていることを、NAOさんのブログからうかがうばかりのこのごろですが、そうした中でも一番気になるのは、やっぱり「This Girl is BAD ASS!! 」の世界配給についてです。
今回の作品の公開の規模やプロモーション展開はすべて、今後の映画の配給にも大きくかかわってくる大きな問題だと感じています。
頑張れ!ジージャー!
楽しみですね!
「This Girl is BAD ASS!! 」からジージャー・ヤーニンという女優さんを知るヒトも多く生まれて来ることと思います。
そういう人たちが、そうした機会を得て同時に、ジージャー・ヤーニンというひとりの女性のすばらしさにまで気付いてくれることに至るのなら、ファンとしてはほんとうにうれしいかぎりです。
ジージャーは、人間としてすばらしいと思います。
それはジージャーを応援するファンにも理解されるべきことだと思っています。
昔、稲垣潤一さんが、ある機会に「ヒットしている曲を歌っているひとが嫌な人だったら、自分はその歌は好きにはなれない」という子供のような頑ななお話しをしていました。
誰もがハナで笑うのです。
商業主義がまかり通るショービズの世界で、なにをキレイごとを!、ガタガタ言うのなら自分がヒット歌手になってみろ!という冷笑がこのお話しへの多くの人たちの妥当な反応でした。
でも、わたしは立ち止まってしまうのです。
そして学生のころに聞いたそのお話しは、ずっと自分のこころの中に残っていたのですが、長い年月が経ち、結局はご本人も忘れたであろう(笑)いまごろになって、そのコトバに、いまのわたしはこころから共感しているのですね。
仕事に出れば、成果至上主義の渦中にあり、現実のドライな評価の世界に見舞われます。
人柄や手段ではなく、結果が問われる世界です。
効率がよければ肯定され、方法がなんであれ、定量の成果があがることを良しとする世界です。
では、これがすべてでしょうか?
いいえ、違います。
どう違うのか? 何が間違いだと意地をはるのか?
いえ、カンタンなことです。
とても単純な。
つまり、そんな幼稚で痩せた「正しさ」では誰も暖められないし、そんな薄汚い「正しさ」を、少なくともわたしは子供たちに「それでいいんだよ」とは教えられないということです。
ジージャーを応援します。
わたしは、わたしのキモチで応援して行きたいと思います。
ジージャーのすばらしさを、ゆっくりとみんなに伝えられればなあ、と、勝手に決め込みながら(笑)です。