ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

準備完了。

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ネットを通じて知るこのごろのジージャーは、なんというかちょっと「整ってきた」という感じを受けます。
まあ勝手な感想なのですが、わたしにはなんだかそんなふうに映って見えるんですね。
とりとめもなく「主観」のお話ですいません(笑)。
でも、変化という事実の中には、いろいろとみるべきものも隠れていたりします。
レイジング・フェニックスの撮影の前後のジージャーは、なんだかいっしょうけんめい「変わろう」としていたように見受けます。
髪形やメイクの問題だけでなく、過激なアクションへの要求や役作りに向けての体重のコントロールや意識まで、かなりのムリを、持ち前のチャレンジャー精神でこなしてしまったのでしょうね。
頑張り屋さんだと思います。
でも、なんだかちっとも「整っていた」という印象は受けません。
以前、このブログにも書きましたが、わたしから見ると「レイジング・フェニックス」の時期のジージャーは、女優として必要なひとつの経験としての試練の時期の姿だったのだと思っています。
成長の模索の季節、ということですね。
そして、笑顔が過ぎるのです。
これはもう、女優であるという事実とタイでの人気を考えたら避けられないことではありましたね。
でも、そのころのジージャーのキモチって、どうだったのでしょう?
彼氏のウワサも聞きました。
2作目の映画は、興行的には難しい結果ともなっています。
いろいろありますよね。
でもジージャーは別に、手を抜いてもいませんし、むしろ前作よりもっともっと打ち込んだ結果だったワケですし。
その後も、その反発というかまるで「揺り返し」のような印象を受けるジージャーの姿を見る時期があり、戸惑ったことがあります。
一例を言うと、ちょうど髪を短くして、少年のようにノーメイクにして、どんどんふっくらとしていった頃ですね。
このブログでも一度(Youtubeジージャーの回です) 、最近のジージャーということでショートカットでノーメイクの写真を取り上げたことがあるのですが、そのときは、すぐに写真を差し替えたりしました。
ある意味、それはとてもジージャーらしい姿だったのですが、ちょっと思うところがあったのです。
その写真が一人歩きして、それをもって論じられることで、国内でのジージャーへの印象が無意味にブレることがイヤだったのです。
わたしはジャーナリストではありませんので、このブログも徹底して主観で書かせていただいておりますが(笑)、なんにせよ、ジージャーのことが大好きなのです。
そしてそういうわたしが、ジージャーへの心配をほんとうに払拭できはじめているのは、実はつい最近になってのことなのですね。
FridayのプロモVの頃ではもう、わたしの言うところの「整ってきた」感じのジージャーに近くなってます。
そこから先の報道で見るジージャーは、先にもいいましたように、ちょっと「整ってきた」感じを受けております。
主観です。あくまでも(笑)。
でもおそらくは、次ぎのステージへの「準備完了」ということなのでしょうね。
笑顔がホンモノっぽく見えてくるのです。
引き続き、ジージャー・ヤーニンさん、応援しておりますよ、ええ(笑)。