ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

是も非もなく

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かつてジージャー自身が、その携わる役柄において手を抜いたこと、躊躇したというのは、結果として皆無です。
トムヤムクン2以降のオファーでは、作品を断ったことがないのではないかとおもうほど、多様な役柄を演じてもいます。
その背景には、彼女のたゆまぬ向上心とともに、まずは「生き残らなければ」という思いがあったのではないかと感じています。
その前後で、ジージャーの運命はめまぐるしく、かつとても早く動きました。
そしてそういう季節に生まれてきたものたちが、これから目指すべき峰にほんとうに必要なのかと問えば、その答えは「すべて、活かさなければならない」というのが答えであって、それ以外にたどり着くことは許されないのです。
では、そうした経験は、どうやったら活かせるのか。
それは、いろんなことを試し、挑み、邁進し、いま、ここにいる、という、彼女自身のプライドとなって行けばいいのでしょう。
それでもなお、それらが知らしめられる機会、あらわされるべき舞台が用意されなければ、そうした彼女自身の存在の輝きに価値や意義をあたえることは出来なくなってしまいます。
わたしは、ひとりの映画俳優の活躍のおおきな節目は、それが継続しステップアップしていくにせよ、まずは10年という区切りのなかで評価されるものだと思っていますし、その役者の評価を統べるのなら、それはその役者の出演する10作をみてしかるべきだと思っています。
それは、たとえばジージャーであれおなじこと。
そう考えたとき、おのずとここからの2年の歳月は、彼女にとって最も重要な役割をもつこととなります。
彼女の本質的な魅力をしらしめるにあたいする「代表作」を捻出すべき時節の到を、彼女の積み上げてきた努力のすべてを活かすべく、その活動の切り返しとステップアップを教える信号を示すのそか、いま、この時期の役割だと言えるのです。
もし、是も非もない、ということがヒトを縛るのだとするならば、この運命の成功のひな型に寄り添う「是非」にこそ、ジージャーは導かれるべきなのでしょう。
天は自ら助くる者を助く。
それを受け取るべき季節が、もう、訪れたのだということです。