ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ジージャーのキャパシティ

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完成したキャラクターを踏襲し、その監督のキャスティングにかなう女優になる、ということ。
ジージャーにも、そういう機会、遠くなく訪れるのだとは思うのですが、惜しむらくはタイを中心とした活動ではそうしたチャンス、希薄にならざるをえないとも察します。
ハリウッドが過去作品のリメイク全盛で製作展開をすすめて久しいですが、アジア作品にはそうした潮流はほぼ皆無にひとしいという現実が、このチャンスの希薄さを語っているところでしょう。
そうしたなか、たとえば「燃えよドラゴン」のリメイクなどであれば、黒い瞳の美しい肢体を鍛えた俳優が推挙される可能性は高くなったりするのですが、これはそのままそうした機会が貴重だということを語るものでもあります。
たとえば3度目の「燃えよドラゴン」のリメイクがあったとします。
それはそれで良いことです。
でもそのとき、ジージャー、いくつでしょうね。
似たような機会の損失、いままでもずいぶんありましたし、そしてこれからもジージャーの横をたくさんたくさんとおり過ぎていくことでしょう。
これで良いのでですか?
機会というものに、ファンもジージャーを取り巻くひとたちも著しく意識が低いということに、わたしは、大きく嘆くところです。
ジージャーの女優としてのキャパシティ、それを信じていないから、機会への脊髄反射が宿らない。
そういうことです。
先にも紹介した「ミレニアム」のシリーズ、たとえばリスベットの恋人役はアジアのキックボクサーの女性です。
彼女の役所は、無敵無痛の巨人、リスベットの異母兄弟と戦うというもの。
いろいろな都合で、それを描く「ミレニアム」の第2作目の製作は流れたのですが、「蜘蛛の巣を払う女」がある程度の成果を得られれば、「羊たちの沈黙」のときのように補完的な作品展開、ありえるのです。
チャンスがぽっかりと口をあけてまっています。
このこと、みなさんなら、どのように思うのでしょうね。