ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

過去からの手紙 1

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自分と縁のあるコンテンツ、ということでかつて、

鉄拳シリーズ
3年B組金八先生
キューティーハニー
リズナー6
踊る大捜査線
謎の円盤UFO

などを挙げさせてもらっておりますが、こうして時間が経つと、ゲームである鉄拳はともかくとしも、「実写映画」での固定の演者の年齢問題、むずかしい課題なのだな、と感じるところ大です。
まずは、3年B組金八先生
この作品において、武田さんを抜きにしてメッセージを伝えようとこころみるのならそれはそれで、しっかりとした交代劇を描いたそのしかるのちでなければいけないことでしょう。
武田さんがかつて、教師をやめたじいさんとしての坂本金八が荒川の土手で...というようなイメージを語っていましたが、こうして現実の2018年をむかえようとしているいまであれば、被災地や不登校の問題と向き合う、若者からバカにされながらもいろんな成果をあげてしまうしたたかでとぼけた不思議な爺さんという坂本金八、ありだとおもうのですね。
で、毎回のゲストにはかならず、ひとりの名もなき協力者として、かつての教え子のだれかが登場して、その人物がなぜかその爺さんのことを「金八先生」と呼ぶのを、「あんた、むかし先生だったのか、いやぁ、でもこんなスケベで調子のいい先生なんていないか(笑)」と、疎んじる主人公との絡みが展開する、というストーリーでいいとおもうのです。
これをあえて換言するなら、結局、金八先生を冠する物語りには、武田鉄矢さんが不可欠であって、寅さん同様、武田さんのリタイヤは金八先生のリタイヤということになるのだと思います。
いずれにしても、3年B組金八先生、ああいう出来合いのファイナルで、納得している初期のファンはいないと思ってみてますが..
それから踊る大捜査線
本広監督のもと、映画版「亜人」で、高杉さんがふたたびSATを演じていて、ファンにはなつかしく感じられるところですが。そういう流れではない、ほんとうの「踊る大捜査線」の続きを描くこと、これはその実、金八先生を続けることよりもよっぽど容易だと考えます。
仕組みは簡単です。
青島が、和久さんの位置近くまで下がり、あたらしい「ポスト青島」を受け入れ育てていく、そこに踊る大捜査線ワールドをひろげていけばよいわけです。
だからこそ、その展開にはある程度の熟成の時間が必要なのですね。
織田さんがはりきってしまうエピソードが並べば、見る側は確実にこころがはなれてしまうもので、ここぞ、というときにその「熱さ」が浮き彫りになる演出こそ、待たれる姿なのでしょう。
現代の多くの社会人が、おおかれすくなかれ、その会社での自分の生活のなかに、この踊る大捜査線の世界観を感じてすごした10数年の歳月があり、それはいわば、この作品の「財産」でもあります。
そうしたものの価値を正当にはかろうとするのなら、それは「個人の成長」をしっかりと認識した物語りの演出と結びついていなければいけないことでしょう。
そういう意味において、この点を見間違った演出さえしなければ、踊る大捜査線の続編の成功は目に見えてはいるのです。
そして、謎の円盤UFO
劇場公開のウワサから数年、新作のハナシをとんときかなくなりましたが、それはそれで当然のことのようにも思えるのです。
21世紀の現在において、この物語りの続きを描くことはものすごくデリケートなことで、そんなに安易容易に続きが語られることとなるのなら、それこそ名落ちで、この作品の格調を汚すだけのものにほかならなくなるだろうと想像がついてしまうからです。
この作品が、のちに多くのクリエーターたちにあたえた影響はほんとうにはかりしれず、深いものがあります。
そうしたひとびとの習作を待つだけでも、この作品への携わりは感じられるもので、リスペクトとオマージュが絶えることもなく、連綿とその精神が繋ぎ続けられているのを感じることはできるのです。
一例でいえば、次の新劇場版エヴァンゲリヲンがそうです。
たのしみに、まちましょう。
ちなみにカンバーバッチ、彼はワンダ・ベンサム(レイク大佐)の実の息子ですね。
実際に彼女が親の役で出たりしてましたけど。