ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

Time is up

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わが家のハードディスクレターダーの録画一覧は、「アジアンスマイル 闘え!ジージャー~タイのアクション女優~」からはじまります。
もちろん、バックアップはとっているし、もうずいぶん何度も見ているのですが、どうにも消去するキモチになれないのですね。
この番組ののち、日本は311の震災を迎えます。
そのころに録画されていた番組の中では、頻繁に公共広告機構の稚拙で薄っぺらなCMが繰り返し続けられ、刷り込みを更新していました。
ひとびとに、ほんとうに大切なことは考えさせないように、不安、という誰しもにわかりやすい「空気」に寄り掛かり、洗脳を続けたアレです。
なるほど、将来や生活に不安をいたずらに抱かせないため、それはそのとおり。
で、その結果はどうなったの?
放射能の漏洩は国、電力会社のいう通りに存在せず、原発は将来の、それこそ「将来の不安」のためにも、しっかりと停止の道筋を描いて来たでしょうか。
ご存じのとおりです。
つまりこれが、現実ですね。
目をよく見開いて、しっかりと「ほんとうのこと」を見分け、注意深く聞き取るように、自分を信じて生きていかないといけません。
少なくとも、もう、マスメディアが人間の生きる意義の代弁者ではない、ということくらいには気づかなければ。
それでももう、多くのことが間に合いません。
わたしたちはただもう、騙され、省みる機会も奪われ、ただただ暮らしを追いやられて刹那的な価値観に染められていくばかり。
騙されれば楽になれるのか。
それすらももう、ウソで、お金がどんなにあっても、あなたのほんとうに欲しいものはもう、手には入らないのです。
そういう「シアワセ」は、なんというか、ガンの保険みたいなものですね。
最初、ネットからタダで保険がプレゼントされる。
それから治療に多額のお金がかかることを勉強させられる。
気がつくともう、保険の大事さにこころを奪われてしまって、搾取側の言いなりにコントロールされるのを待つ自分に改造終了。
ガンにならない自分をもう信じることが出来なくなって。
時間だけが、滔々と過ぎていきます。
ジージャーももうすぐ、チョコレートファイターから10年を迎えようとしています。
震災のあの日の現実から「現在」を思うと、わたしには、ヒトのこころの鈍さ、なにもかもを「めんどうくさい」基準で空気を読んだその「しょうがない」という生き方に、ほんとうにガッカリさせられます。
みんな、夢をみないのか。
薄っぺらでない、こころのその奥そこから湧き出るような、熱い思いを滾らせた、そんな夢を。
わたしは、あきらめたくないなあ。
そしてあきらめないひとを応援したいと思う。
ジージャー・ヤーニン。
彼女は、そういう熱い「夢」を体現しようとする、この時代に届けられた、ひとびとの夢のための象徴なのだと、わたしは思います。
積み上げられて行く時間は、何を築こうとしているのか。
それがなんであれ、何が生まれてこようとも、その構築されて行く存在に「意味づけ」をするのは、すべて、あなたの価値観が成していくもの。
その日、そこに生まれるものが、あなたにとってどんなふうに理解され、解釈されるのかは、少なくともテレビの解説にどっぷり浸かった脳味噌ではわからないものになってしまうのかもしれません。
自分の目と耳と、そしてこころで、借りてきた価値観ではない思いで、世の中をみてみたい。
わたしはそんなふうに思って、ジージャーのことをみてきました。
そして、ジージャーが紡ぐ、これからの物語についてもまた、そんな思いでもう一度、追いかけてみたいと思い立った次第です。
誰も待ってはいなかったとは察しますが(笑)、再開しましょう、ジージャー・ヤーニン応援ブロク。
そう、もうすぐ、10年が来てしまうからですね。
あっというまですよ、ホント。