ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

太陽を盗んだ男

イメージ 1

ズバリですが、ジージャーに「太陽を盗んだ男」のリメイク主演をすすめます。
タイトルにオトコと書かれているのに女優の主演?とか、そんなことで躓くような想像力の脆さは、みなさんにせよ、そろそろ捨ててほしいのです。
このブログをさかのぼれば、過去にはジージャーに「趙雲子龍」や「紅三四郎」をなぞって欲しいと語っています。
以下、一例ですがご存じでしょうか?
マンガ「一騎当千」という大ヒット作では、三国志演義に登場する猛々しい武将たちを、そのままの呼び名のキャラクターで美少女たちに演じさせています。
プロモーションというものの妙味は、こうした「ハズし」からテーマの本質に回帰する道のりを見せながら、観る側に同期と共感をうながすことにあります。
これはどんな最小の単位のプロモーション活動にも宿る真理です。
つまり、大切なのはいつも、理詰めで退屈にまとまるような「正しさ」にあるのではなく、闊達な想像力の飛躍する様子のなかにこそあるのだ、ということなのです。
ともあれ、発想を柔軟にする。
そしてたくさんのイマジネーションを産んで行く。
実力のある演者であれば、その先にこそ、おのれの個性をのせ、作品そのものを何倍にも輝かせることが出来るはずなのです。
なら、優れたものは、試されなければ。
映画「太陽を盗んだ男」は、実は日本で起きた大震災による原発事故のあとである現代においてこそ、再考される余地を残す作品です。
体制と個人との、それぞれが抱える交わるはずのない鬱屈とした痛みと歪みがぶつかるとき、物語りは深みを増してひとびとに語りかけるのです。
そういう、ひとのこころの動きに精妙な演技をもとめる質の高い役所こそ、これからのジージャーが挑むべき「高さ」ではないでしょうか。
そういったものを重ねながら、その先に、本領であるアクション作品への帰結をみる。
それこそ、本懐ではないでしょうか。
わたしは、やはりリメイクになりますが、ジージャーのアクション作品の完成形には、「燃えよドラゴン」がふさわしいと思っています。
もちろん、それは、あらたな「燃えよドラゴン」であり、あらたなジージャーのための物語りが必要ということも意味しているのです。
大活躍を約束するタイトル。
そのための骨太で高揚を促すような素晴らしい物語りが、その日までにこの世界のどこかで練り上げられることにも、大きな価値や意義があると思っているのですが..