ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ブルース・リーと、ジージャーと。

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ブルース・リーをしらないひとたちに、リーの代表作を伝えるとするならそれは、「燃えよドラゴン」と「ドラゴンへの道」の2作になるのではないかなあとおもうのです。
ひとつの究極としての大作、ハリウッド映画「燃えよドラゴン」。
実質、この作品がリーの頂点ということになるでしょう。
もちろん、この作品のあとに「死亡的遊戯」があるわけですが、それを代表作とするのには苦しいとおもいますし、「ドラゴン怒りの鉄拳」にしても、代表作とするには風格に欠けます。
いえ、誤解なきように願いたいのですが、ファンである身からするとどれも好きな映画で、それぞれにみるべきところを見出してもいるのです。
ただそれでも、自分が「好きだから」ということが、未熟な作品を「彼を表すのに認めうるレベルの作品」と底上げさせることにはつながりません。
その点「ドラゴンへの道」は映画エンターティメントとしての長所と、リーの魅力を活かした演出がみてとれて、よくできているとおもいます。
で、このコンビネーション。
これって、ジージャーの「チョコレート・ファイター」と「バッドアス」の関係に似ているとおもうのですね。
リーのフィルモグラフィーは、彼の死をもって紡がれることを終えてしまいました。
ジージャーもまた、妊娠、出産をもって活動が停止、事実上、主演作を並べればやはり、これらを代表作として掲げざるを得ないという現実があります。
ジージャーの活躍がこれからもつづくとして、ほんとうにこれらを超える作品にめぐりあえるのかと考えると、ここでひとつのおおきな問題が浮かんでくるのです。
それは、「活躍の場」という問題です。
ジージャーにどれほどやる気があり、アクションへの用意が出来たとしても、映画は総合芸術であり商業的な側面の強い存在です。
つまりは、よい脚本、よい機会、よい撮影環境、よい俳優のそれぞれが相乗効果をあげて成り立つものであり、ジージャーだけではどうにもならないということなのです。
この点において、先々から語っているように、いま、ジージャーはおおきな転換期に差しかかっていると言えるとおもうのです。
予定は約束された未来ではないのだということを、わたしたちは、チョコレート・ファイター2によって思い知らされています。
しかし、それでもわたしはおもうのです。
ジージャーのメンタルなパワーがたかまれば、きっと彼女をとりまくいまの困難な状況をすべて逆転させて、おおきな変化にたどりつけるだろう、と。
で、そのメンタルをたかめるモノ。
それせやっぱり、応援、ということになるのです。
リーは亡くなってからおおきな成功を得ましたが、ジージャーの活躍は、実に「これから」のことなのです。
確約などなにもない彼女のこれからを、どこかで誰かがテキトーに応援してくれてるんだろう、みたいな斜めの見方をしないで、どうでしょう、彼女の応援を、現実的にみなさんも考えてみませんか? 
ジージャーの物語は、過去のいつかでも未来のどこかでもなく、たったいま、紡がれている現実です。
彼女と同じ時代をわたしたちは生きている、そのことをどう思うか、これは、リーにはもう届かないことでも、ジージャーになら届くのですから。