ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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魔法少女まどかマギカ

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ドラマ、ということについて考えます。
日本にはすぐれたドラマがいっぱいありますが、それはアニメ作品においても顕著です。
大ヒット・コンテンツに「魔法少女まどかマギカ」という作品があります。
タイ映画界が、このアニメ作品をこえること、出来るのでしょうか。
ともあれこの作品、驚異的です。
これから描かれることとなる新しい物語りには、この作品から学ばなければならないことがいっぱいあります。
まどかマギカ」のお話のディティールはすでに語られつくされてる感もありますが、わたしなんかの目でこの作品を見ると、これはなんだかそういう一群の感想とも違った見え方がしているのです。
この物語り、実は「オトナになるとはどういうことなのか」というお話のように見えるのですね。
説明も不十分な成り行きのなか、当然の義憤や幼い正義感に駆られて少女たちが「契約」に巻き込まれて行きます。
そして社会の示すレトリックな「やり方」に翻弄され、そのはてに「貫かねばならないもの」を見出すことを強いられていくという展開。
これ、オトナになっていくことの「痛み」を描いているようにおもえるのです。
スゴいことですね。
こんな難しくも観念的なお話の展開を「見せる」ことで伝えるしたたかさは、実に、おおくの作品の見本となるべきものだと思います。
すぐれた見本というのは、つまり「神様」と同じことです。
いみじくも「まどかマギカ」では、主人公のまどかが、最期には「観念の存在」になってしまいます。
魔法少女が、です。
この作品、ほんとうに、これから生れて来るいろんな作品のひとつの尺度をになうものになりそうに感じています。