ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ジージャーのために

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ジージャーの容姿は真摯な想いを表現するのに向く、稀な特徴を持つものだとおもいます。
柔和なまなざしから瞬時に、射抜くような鋭い眼光に切り替わる、その表情の素晴らしさがもっとも印象的なのですが、これは天性のもの。
ジャッキーにも、トニーにも、この表情は宿りませんでした。
技能や演技は後天的に磨くことが出来ます。
しかしこうした、筋肉の下に先天的に潜む俊敏な反応の基礎というものは、どうにも鍛えてどうなるものでもないのです。
実際、こういう緊張感をその表情からかもし出せる俳優は一握りの存在。
100人のアクション・スターを集めてきても、その優れた個性や演技とは別に、こうした「集中力」を表現できる能力を備えた俳優はほんとうに少ししかいないのです。
過去、誰が思い当たるでしょう。
具体的には、ブルース・リーくらいしかいないとおもいます。
それほどに、ジージャーは稀なものを持ち合わせたわけですが、これは牡羊座という「生まれの星廻り」が与えてくれたものなのかもしれませんね。
しかしそれすらも、順を追い、現実を積み重ねなければ「価値」にまでは昇華しないのです。
瞬時にして「怒り」をあらわにする表現力。
この表情のあり方は、怒髪天をつく鬼神のそれと同じで、容易にまね出来るものでもないのです。
かたや、現実の生活者としてのジージャーは、実際にはアイドルであり、母親であり、こうした荒々しい特性はほとんど必要としない生き方のなかにいます。
そう考えると彼女はやはり、天性の女優であり、武術家の才をもって生れて来たのだということなのです。
あらためて、彼女が「ふさわしい」ステージ、そして「ふさわしい」物語りと出会うことこそが、彼女の人生をより輝かせるものとなるのだということは、もはや自明の理だとも言えることでしょう。
ファンとしてはやはり、彼女が活躍してくれることこそが望みです。
その意味において、繰り返し、ジージャーが「すぐれたコンテンツ」と出会い、退屈な説明を要しないほんとうの意味での「彼女を活かすことのできる作品」によって開花することを希望すると綴り続けたいとおもいます。
掲示している「拳児」という作品は、かえりみてやはり、ジージャーのために映像化を待っている作品のようにさえ思えるような、特別な存在だと感じます。
遠くなく、ジージャーがこの作品と出会える日が訪れることを祈りながら、微力な声をあげるばかりです。
真摯なひとの想いを内包しない作品では、ジージャーのこころの表現力を活かしきることはやはり出来ないことでしょう。
優れて「真実」を含んだ作品が、優れた俳優と出会うとき、その俳優の潜在的な魅力を何倍にもひきだしてくれるものにもなることは容易に想像の出来ることでしょう。
わたしはふと、こうした模索の先に、ジージャーによる「燃えよドラゴン」のリメイクが位置付けられるように感じているのですが、それはまた、リーほどの精妙な「怒りの表現のチカラ」を持ち合わせる俳優が、現代においてはジージャーをおいてほかに見当たらないからからでもあります。
いちファンとしてのわたしのジージャーへの最後の応援の声は、どうか一日もはやく、ジージャーにふさわしい作品と出会ってほしいと願う想いです。
彼女におとずれる運命を信じます。