ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

不完全燃焼

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神様ドォルズ」のことを見ていないヒトにどう言っても、この物語の秀逸さはうまくは伝わらないものだろうなあと諦めています。
で、見ないヒトは見ない。
自分で造ってしまったイメージと無知の壁のせいで、人生の見出すべき符号の重大なひとつを失ってしまうというのに。
そう考えるとまあ、ホンモノと出会えるか出会えないかというのもまた、そもそも運命なのかもしれませんね。
amazonの評価とか、実はこの作品もかなり偏った言われ方なのですが、そういう偏った意見でも、ひとつの見解はひとつの意見として列に並びます。
こういう乱暴な現実に、最近はとってもガッカリさせられてしまうのですね。
緻密な構成と豊かな想像力、魅力的な展開、人間の思いやりや憤り、こころの深い葛藤を描くこうした物語も、セオリー通りではないとか、マニアを喜ばせていないなどという、ほんとうに浅慮で愚かな意見でもって汚されてしまっているのです。
あんまりいい加減なことを、詰まるところただの自分の未熟な欲求不満なんかを、したり顔でダラダラ言われるのにつきあわされ続けるのも、正直、そろそろ許せないところまで来てます。
なんでも口にすればいいやというのなら、そのだらしない言い分をとっちめることもまたわたしの勝手ということになりますよ。
ああ、乱暴ですね。
でもなんだか、叩き潰してやりたくなるときがあるというのも本当なんですけど。
くだらないことを、さも「あたりまえ」と言わんばかりに、あるいは脆弱で卑怯な自己への擁護をタラタラと並びたてられると、ひねり潰してやりたくなるのです。
言い過ぎとは思いません。
ヒトが心血を注いた大切な思いの塊を泥まみれにすること。
わたしは、許せないな。
省みて、ジージャー作品への、具体的には「チョコレート・ファイター」に対する見解さえ、初期の評価にはただの愚痴や悪ふざけな思いつきの垂れ流しが多数見受けられました。
評価って、大事ですが、絶対ではありません。
なんにせよ、まずは自分の目でこころで、感性を高めて、それ自体にふれてみること。
そこからしかほんとうのコンセンサスというのは取れないのではないのか、とも思うのですけど。