ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ホムンクルス

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ホムンクルス」というマンガの紹介です。
この物語のことを「何が言いたいんだ」とか「意味わかんねぇー」とか笑って話すようなヤツは、薄ッ気味わるいから近づいて来て欲しくないと思います。
人間のこころの問題にそれほど鈍感でいられるのなら、あるいは逆に痩せた想像力しか持ち合わせないのでそんなふうに照れていうしかないというのなら、そのどちらももう腐ってるとしかいえませんよ。
単行本として出版された「ホムンクルス」の15巻は、連載時より後半の物語が追加されています。
読んでいない方には、急いで読まれることをおすすめします。
知らないことがもったいないですよ。
作者の山本さんはこの物語を創作するために実際にホームレスになりました。
というか、いつもそんな「深入り」の仕方をしてしまうヒトなのですね。
昔、「オカマ白書」という作品を描いていたときも、後半に向けてどんどんこころが乱れてきて、そのタイトルや初期のスタンスからは考えられないような結末にたどりついてしまったりしてます。
のぞき屋」や「イチ」はもうかなり有名ですが、そういう突き詰められた痛みをともなう物語が、それほどお気楽に生まれてきているというワケなどありません。
物語は、そのひとの心象のあらわれでもあります。
そんな心象のどの部分にこれほどまでのフォーカスをかけるかという選択と作業には、たいへんな痛みが伴って当然なのです。
たとえご本人が、コトバでどう軽んじようとも、ですね。
そういうことが感じられない「受け手」になったら、人間ももうおしまいでしょう。
こころを揺らして、痛みを覚えながら生きていかなければ。
それはたとえ、マンガを知る、というだけの行為においてもおなじでしょうしね。
で、これほどの衝撃の作品です、いずれは誰かに挙げられて映画化となるのは必須の運びなのではないでしょうか。
そしてそのとき、この精神の深淵の物語の主人公を演じるほどの役者というのは、その真摯さでこの物語の重さをもになう存在に成って行くわけです。
そういう役柄に、女優ジージャー・ヤーニンがめぐりあえるのなら、彼女の映画人生は今後大きく広がりを持つことにもなると容易に想像できるのです。
ただ、問題はやはりタイの映画界のスタンス、ということになるのでしょうね。
優れたコンテンツ、役者を大きく成長させる物語は、日本にはほんとうにたくさん隠されているのです。
誰かこのことをもっともっと強く激しく、ピンゲーオ監督に伝えてくれないものでしょうか。