ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

評論家

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私の子供は自閉症という障害を持っています。
生涯、治ることはありません。
残念ながらたいへんな重症で、会話も出来ません。
この子が自閉症だと宣言されたとき、その意味も姿も想像できなくて、ずいぶんいろんな本を読み調べたものです。
そんな中、ある障害児の育児の本に、「とりあえず、死なない障害なのだから」と書かれているのにあきれたのを覚えています。
心底、腹が立ちました。
書き手にしてみれば、気をしっかり持って、もっとたいへんな人はいっぱいいるのですよ、というニュアンスで綴ったのだろうなあ、とは察するのです。
でも、こんな言い方ってあるでしょうか。
その言葉にあきれて、でももしかしたら、ずうっと何年もたったら、ああ、どうしてあのとき、あんなに焦って悲観したのだろう、バカだったなあ、死ぬわけでもないのに、とおもう日でもくるのかと、ちょっと期待しないでもありませんでした。
結論として、やっぱりこれは、評論家のお気楽なたわごとでした。
いのち、というものに感謝します。
どんな障害があろうと、そんなこととは関係なく、わたしがこの子を愛おしく感じていることは変わらず、成長するにつれ、生まれてきてくれたことへの感謝はつのります。
そしてそのうえでなお、おもうのです。
とりあえず死なない、は、やっぱり救いのない、こころのない、忌むべき言葉だったなあ、と。
障害者を持つ家族の現実に、とりあえずは通用しません。
日々、戦争です。
どんなにご立派なその筋の先生であろうとも、ほんとうの意味でのこころの痛みへの「理解」に至ることは、そういう生活に果ても無く身をおかないかぎり、やっぱり不可能なのだとおもいました。