ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

チョコレート・ファイター2の喪失 2

イメージ 1

わたしは「チョコレート・ファイター」という作品の存在は、ジージャー・ヤーニンにとってのおおきな起爆剤なのだと思っています。
まずは彼女の存在を世界に知らしめる役割をはたしてくれたブースターでした。
そこからは、彼女を活かしてみたい、と思ういろんな世界のアーティストたちへの訴求の役割をになう時限爆弾として蠢き続けています。
そしてわたしたちのように、ジージャーの存在から元気をもらってしまうファンに対してのアプローチも、結局は「チョコレート・ファイター」からはじまっているワケです。
だからもし、「チョコレート・ファイター」という作品にこれからがあるとするのなら、それはやはりジージャー自身をふたたび大きく世界に打ち上げるための起爆剤になりうるものだと感じているのです。
そこまでに至る道のりに、ネガ要素があるとするなら、大きくは次のような点でしょう。

.検璽献磧爾良鋧後のコンディション
▲検璽献磧爾良鋧後のモチベーション
ピンゲーオ監督のドラマの組み立て
け撚茲離廛蹈癲璽轡腑
セ?阿留撚萇床

大きくはこれらの問題が懸念されるところではないかと察します。
,砲弔い討蓮∪議勝▲侫.鵑箸靴討呂泙辰燭心配していないのですが、マスメディアや評価するひとたちには格好の材料ですから、この点、いずれにしても話題になることでしょう。
個人的には、ジージャーという女優の底力の見せ所でもあり、ジージャーがこうした点に手を抜くことがまったく考えられないので、なんらの心配もしておりませんし、むしろいろいろと期待していたりします。
しかしこの問題も結局は△亡慙△靴討てしまうのです。
それは、ジージャー自身が今後、母親として生きることを大きく見据え、アクションへの訣別を決意するときにすべて変わってしまうという点です。
チョコレート・ファイター2までに関しては、自分の責任とでもいう思いで取り組むであろうジージャーの気持ちが容易に想像できます。
ジージャーはそういう点で、実に責任感の強い意欲的なヒトです。
ただ映画は商業です。
責任やノルマでこなされる作品が、創作に勤しみこころを深く傾注する監督や、それに社運をかけることとなる会社の決断を促すに至るものでしょうか。
おそらく、いまの判断軸はその端境にあるのでしょうね。
結局は、すべてジージャー自身の復帰に向けての意志の問題です。
その意味でも、先に述べたとおり、「チョコレート・ファイター」という名の作品はジージャー・ヤーニンにとっての大きな起爆剤の役割をになうシロモノだということなのです。
未来はいまだ決まっていません。
仮に制作会社が実施を決定しようとも、ジージャー自身がこの未来の鍵を握っていることには違いはありませんし。