ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

「鉄拳」とゼン 2

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映画の中のキャラクターではありますが、女優とともに歳を重ねて行ってしまうゼン。
ジージャーのイメージはそれほどにゼンと合致しています。
あたりまえのことですが、チョコレート・ファイター2が公開されれば、ゼンの「いま」のイメージが出来上がってしまうわけで、そのときにはもう、一作目の「チョコレート・ファイター」のなかに見出された少女のゼンのイメージは払拭されていくことになるでしょう。
そのキャラクターを演ずる様が優れているとかいないとか、適するとかしないとかの問題とはまったく別に、「完全無垢な少女の格闘者」は、刷新されることになっていくのです。
女優ジージャー・ヤーニンのファンとしての思いには、それを喜ばしい成長として受け入れようとしている自分がいます。
それでも、映画「チョコレート・ファイター」はもはやジージャー自身にも帰ることの出来ない、フィルムの中にだけ残された偉大な心象の鏡であり、普遍的な価値の高さを持ち得るものでしょう。
それらがこのまま埋没してしまうというのはどうにも惜しいことのようにも思っています。
しかし、いまの時代だから出来るいくつかのスピンナウトを積極的に考えるなら、それらの価値の活かされ方にもまだまだ多様な可能性を残されているのではないかと思い至ります。
その可能性のひとつに、ここでとりあげているゲーム世界との融合ということが挙げられるのです。
ゲームの中のキャラクターでさえ歳はとります。
しかしそれは、制作者の指揮のもとにコントロールされるもので(たとえばニーナとアンナはコールドスリープさせられて時の経過をエスケープしていますね)、どうとでもなります。
なんであれば、鉄拳の世界そのものが明治維新のころにスリップするくらいのコトは、あの企画のなかでは平気で成されてしまうことでしょうし。
ゼンのキャラクターは実に鉄拳の世界に合っているのです。
また、ゲームキャラクターとしてとらえる場合も、小柄であること、他者の技を容易に覚えてしまうという設定上の大きな特技、他の女性キャラと一切被らないという点など、魅力満載なのです。
トーナメントに優勝すると、ゲームでは最後にキャラクター専用に特化された映像が開示されるというのがボーナスとなっているのですが、そこでは「笑顔のゼン」を表現すれば美しいでしょうね。
うーん、語るほどにブレがなくなっていくなあ。
みなさんはどう思いますか?