ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

十三妹、再び。

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去年1年を冷静に見て、ジージャーをとりまく環境はスゴイ早さで動き始めているように感じるこのごろです。
先に「踊る大捜査線4」でもお話ししたとおり、抜け目的なチャンスまでもがあっと言う間に訪れ、去っていくという現実があります。
この傾向はおそらく今年も続きつづけるような気がします。
あまり話題にならないことではありますが、わたしはジージャーのいまの年齢と時代との掛け合いを気にしてしまうのですね。
燃えよドラゴン」リメイクで触れているように、その年齢にはその時期にふさわしい作品というのがあり、なにもかもが「いつでも」というワケにはいかないし、行ってもいけないとも思うのです。
で、ジージャーの「いま」から、残すべき業績を考えるというのも大切なのではないかなあ、と思い立ってしまうワケですね。
これはまあ、極東の1ファンの書くブログだから思いつくこと。
アジアという単位でジージャーを近視眼的にとらえないために生まれる俯瞰の発想ということで、可能ならばぜひともピンゲーオ監督にもお伝えしたいところです(笑)。
そういうワケで、「いまのジージャー」が視野にいれるべきは、アジアという規模の単位に認識される作品ではないかあと思うのですね。
掲題の「シーサンメイ」は、日本でこそ知名度が低いものの、アジアにおいては絶大な認知をほこる大作であり、文化でもあります。
しかしその「シーサンメイ」の物語のうちで最も優れるのは、最後発となる山川惣治先生の「十三妹」であり、それに武田泰淳先生の原作からの肉付けを施すカタチがもっともバランスのよい仕上がりなのではないかと察するところです。
漫画「拳児」にも出てくるように、元気のよい女の子をシーサンメイと呼ぶような中華圏の空気にうまく便乗するのにも、この選択は功を奏することでしょう。
少女のシーサンメイをジージャーが演じられる納期は、良きにつけ悪しきにつけ間違いなく存在するのです。
そういう時間との掛け合いとしての「出会い」も、これからのジージャーの選択には重要なこととなって行くのだろうなあと想像してしまった年初でした。
「いましか出来ないこと」も、とても大切な選択肢なのだと思うのです。
この声、届かないかなあ..