ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

911

アメリ同時多発テロによる貿易センター倒壊から10年です。
追悼のセレモニーが大々的に行われているのをテレビで見て、亡くなった方々の死を心から悼むのと同時に、報道というものに対する暗い疑念が沸き続けて止みません。
10年という歳月が流れました。
この間に、わたしたちは何を見て、何を理解し、何を信じて、どのように納得して来たのでしょうか。
一青窈さんのハナミズキという歌が、911にインスパイアされて生まれた歌だということをご存じの方も多いことでしょう。
悲しい憎しみの連鎖を断ち切りたい、という思いは、ほんとうは誰しも同じのはずです。
なのに、そう思わない人たちがあきらかに存在しています。
それはテロリスト側の人たちではなく、テロの被害に遭遇したと言い続け、報道をコントロールする側の人たちのことです。
わたしは当時から、テロの報道の多くにそもそも疑問を感じていました。
だから911の後には、わたしの疑問がカタチとして目で見えるほどの逃げられない大きな証拠がいくつも並べられたことで、報道の嘘に確信を持ったものでした。
目で見て、なおおかしなことが多すぎました。
第一に、ボーイング757が開けたはずのペンタゴンの穴は、なぜか757より小さいということ。これはあまりにも露骨な証拠です。
第二に、何もぶつかっていないWTC7号棟が、なんで崩壊しているのか、です。
誰が考えてもおかしいことであり、説明もつきません。
そして第三に、映像では旅客機がぶつかる前にビルが光っています。
つまり、爆発が「それ以前」にあった、ということでしょう。
これらはすべて、あなたの目でもわかることです。
しかし事件は、誰かに都合のいい説明で括られてしまったまま10年を経ています。
たしかに、テロは無くならなければいけないことでしょう。
しかしあの事件はほんとうに「テロ」だったのでしょうか?
あまりに嘘くさい。
もしあの事件をテロだったと言うのであれば、それはアメリカが仕組んだ当のアメリカ自身による、我々に対する「報道テロ」だったと言えるのではないでしょうか?
だとするなら、答えも原因も明瞭なこと。
これはすべて「経済」の成した業です。
アメリカという国は、約10年に一度ずつ戦争を仕掛けなければならないという「経済構造」を抱えた国家です。
言葉遊びの戯言ではありません。
軍需と国内の雇用はアメリカ自身の命脈なのです。
建前と利権によって「悪」を想定して物語を造り、狩りに意義を伴わせる。
その際の正義の鉄槌の向けられる先については、都度巧妙に設定され、民衆を煽動しながら事実を加工して報道するのです。
911は、すべて戦争という名の経済効果のための「やらせ」だったのではないでしょうか。
テロは恐ろしいことです。
でも、テロリズムが恐ろしくて悪いことだと言い切ることは正しくても、なぜ、テロを起こさせるほどの状況が生じているのかについては、アメリカが管理するどの報道も触れないのです。
人が死を賭するほどの覚悟のもとに成されている行為。
それほどの事態の原因が、なぜ何も論じられないで済んでいるのでしょうか。
それはもちろんアメリカという国家の都合によるのでしょうが、同時に、私たち自身の脳の中にインプリントされてしまっている「思考の隷属化への従順」という反応が、この状況を助長し続けているからに他ならないからでしょう。
わたしもあなたも、すべて自分たちを「世界の警察」だとして振る舞うあの国家の側の言い分だけに言いくるめられて、「正しい順序で」納得させられてしまっているのです。
ただ、それでも911は決定的に過ぎました。
事件の細かな検証の問題は、この10年に多く語られて来たところですし、ここはその問題を掘り下げる場所ではないので深い扱いは避けます。
それでも、誰の目でみてもわかる証拠や、検証によって明らかとなったあらゆる事実が、客観的にこの問題を語り続けてくれることでしょう。
物理的な検証についても、いくつか触れておきます。
まずはビルの崩壊についてです。
ツインタワーは爆発して崩壊しましたが、そもそもこのビルは旅客機の衝突も前提に建設それていたビルで、先の状況までの被害には至らないはずで、壊れたとしても航空機の燃料では、今回の規模の被害、つまり「鉄を溶かすまでの高温(1500度超)」による倒壊には至らないのです。
仮に旅客機の衝突が爆発を誘発したとしても、その温度(1500度超)に達した被害は物理的に生まないはずなのに、現実には現場にて溶けた鉄とアルミ、そして硫黄が検出されています。
つまり、貿易センタービルは事前に仕掛けられた爆薬によって内部から同時に爆発されていたということです。
そして隣接するWTC7号棟は、何もぶつかっていないにもかかわらずいとも簡単に完全崩壊し、旅客機の衝突があったというペンタゴンには、旅客機の残骸どころか、機体の物理的な衝突痕跡(翼の幅に相当する被害)すら及んでいません。
このペンタゴンの件については当時のテレビ報道で、そして写真で、誰しもが自分の目で見ていたことのはずです。
飛行機は一体、どこにあったというのでしょうか。
この事件の6週間前、なぜか賃貸権を手に入れた資産家のシルバースタインによってビルにはテロ保険が掛けられ、事件後には80億5千万ドルの保険金が支払われています。
そもそもビルの老朽化のために、大きな維持費を問題としていた同ビルは、アスベスト除去だけでも10億ドル以上かかるとされていて、持て余されていたという事実もあるのです。
不思議なことに、あの日、ブッシュ大統領は、いまだ中継されていなかったはずの旅客機の衝突を「テレビで見ていて」愕然とした、としっかりと発言していました。
それでは、誰かが衝突に待機してテレビカメラを貿易センタービルに向けていて、なおかつそれを映し続けていた、ということになってしまうのですが..
事件の結果としてアメリカは、アラブの石油利権の奪取を得て、ブッシュ政権の支持率を向上させ、軍需産業を活性化させるという、わかりやすい利益を得るに及んでいます。
さて、10年が経ちました。
アメリカは、次はどこに戦争を仕掛けるのでしょうね。
いずれにせよ、ほうとうに怖いのは、こうした「報道とヒトの認識」の間に生まれるリレーションそのものについてでしょう。
10年前の同時多発テロによる貿易センタービル崩壊は、日本で今年起きている福島原発事故に例えることが出来ると思います。
911と同じように、わたしたちは「慣らされて」行くことでしょう。
自分で見て、聞いてなお、誰かの示唆のもとに画面に流れるテロップに説明されてコントロールされてしまうような脆弱さ。
それが、「思考の隷属化」とういことです。
そして想いは、ヒトの行いに繋がるのです。
放射能の汚染は、たったいま起きていて、広がり、被害を進めてしまっている問題のはずなのに、子供たちの10年後の白血病の責任逃れのための「基準変更」を誰も止めることが出来ないのが私たちの、そしてこの国の現実です。
911テロから10年、次のテロに警戒すると訴えながら哀悼の儀式を映し出すテレビの報道に、複雑な想いが払拭できません。
わたしは自分たちの10年後を、ここに見せられている気がしてなりませんでした。