長男
友人である美容室の店長に、「鬼滅の刃」の物語が画期的ですよと語っていたのですが(ゴールデンカムイ、かぐや様は告らせたい、ともども)、昨日、このことへのツッコミがありました。
いわく、15巻まで読んだのですが、「鬼滅の刃」、ジャンプ的なおもしろさはわかるのですが、画期的ってどこらへんがですか?と。
ソレへのわたしの回答は、たとえば主人公の頑張りの糧が、セリフの中で「長男でなかったら」とか出てくるのだけど、そんな感覚、いまはもう誰も持ち合わせない、理解できないことだろうし、学ぶ機会もないこと、そういう家族のほんとうの絆とか、大正という微妙な時代の設定とかの掛け合わせが画期的だとおもうんですよね、でした。
はあ、という感じで(笑)共感からはほど遠い反応でしたが、実に、わたしの胸をうつのはそういう、ヒトがスルーしてしまいそうな、このお話のいろんなところに散りばめられる「思い」についてなのです。
大ヒットとなった「紅蓮華」、この作詞はLISA自身によるものですが、この詩のなかに、その「思い」はそのまま反映されていますし、画期的ということを伝えるに、わたしの言葉の足りなさを補ってあまりあるものを見出し感動します。
届こうと届くまいと、届けねばならないこと、決意も使命もこえて、血肉をなおこえてみずからを「すすめ」と追い立てる思い。
その理由が、なんと、あたりまえだから、なのだ。
そんな炭次郎を見てきたねずこの、そのなかにある理不尽への痛みの共感こそ、ある意味、この物語の語りたかったすべてだったんじゃないかなあ、と、わたしには思えるのですけれど、、、、。
10年を超えて
タイ映画「チョコレート・ファイター」、大傑作です。
主演のジージャー、素晴らしいです。アクションも文句なしです、彼女の可能性を信じ、これからの活躍にも期待します。
この映画、公開当時の映画評の中にはずいぶんな酷評も見受けました。
物語りの深みを読み取れないヒトも多かったのだと思いますが、年月を重ねるごと、観る側の理解は深まり、より骨太な作品として認められはじめているなあ、とも感じるところがあります。
わたしは早々に、この物語りの内容を深読みしてしまっていたのですが、そのおかげでこの物語りをつまらないとは思えなくなってしまいましたし、いまだ、感心を抱き続けていたりします。
カルマ(ジンに訪れる因果応報)、血のみそぎとけがれや混血の問題、傷という絆、恐ろしく深遠なテーマを、さりげなく連綿となぞっていて、見返して飽きない作品なのです。
主人公の少女、自閉症のゼンをとりまく運命は、多くの複雑な物語りを語っています。
ひどいことを言うヒトも多かったですね。
障害児に対して便利な解釈をして格闘技をさせてるとか、そんなふうにだけ捉えたがるような見方はどうかと思います。
そんな捉え方自体、そんな価値観を前に持ってくること自体がどうにも薄っぺらで、そうしたヒトたちの感想の方がどうにも偽善ぽくウソ臭いなあ、とわたしには思えてしまうのです。
チョコレート・ファイターという映画の中でわたしがもっとも感心するのは、やはりジージャーによる自閉症の演技についてです。
ホンモノの自閉症者と深く関わっていると、彼女の精妙な演技の中に実にリアルな描写を見出してしまって、その演技力に驚きます。
まさに、この作品、彼女のデビュー作です。
推してしるべきトコ、おおきいです。
彼女はなにより、この演技力をこそ評価されるべきでした。
ただ、残念なことに、この国の多くのひとたちは、普通、自閉症者の実態など知ることもないのが常であって、何がどうリアルなのかなんてわかるはずもありません。
この映画の中には、まだまだ眠っている優れた要素が多く隠されています。
10年後、この映画がどのような評価を帯びるか、彼女を応援しながらずっと待っていました。
いま、その歳月が過ぎ、ハッキリと言えることがあります。
この映画、やっぱり大傑作です。
ちっとも色褪せませんでした。
当たりくじのひきかえ
結婚は、他者から抱かれる印象の点や、生活の変化という現実の点からも、おおきな区切り、節目なのであり、あたらしいスタートそのものなのだなあ、と思いました。
私ごとで恐縮ですが、1月に病気になり、仕事も離れたまま半年になろうとしています。
そうしたなか、ジージャーが引き当てたあたらしい幸運をただただ眺め、成り行きを追っていたのですが、このコロナ禍の中、夫妻が動画配信している睦まじさを見させてもらい、先々への楽しみに胸躍る思いをいただいているような次第でした。
ヒトとしての更なる安定感を培いながら、よりしたたかに、さらなる先へと挑んでいく、そういうジージャーに、あいかわらず勇気をもらい続けていますね。
がんばらねば!
井上真樹夫さん、逝去。
81歳でいらしたとのこと、ご冥福をおいのりするばかりです。
五エ門役はご存じのように、大塚さんから引き継いだ2代目でしたが、印象が強いのでしょうね、すぐにイメージされるところです。
こうして、80歳をして、過去のその役柄の印象で語られる人生、役者として、本懐とする生涯だったといえるのではないでしょうか。