宮本から君へ 2
蒼井さんを、「リリィシュシュのすべて」から見ているので、どうにも、どこに着信する女優さんなんだろう、と、ずいぶん心配していたのです。
「100万円と苦虫女」から「彼女がその名を知らない鳥たち」まで、どうしてこんな業をなぞるような役柄ばかり絡むのだろう、と。
もちろん、大口を開けて笑うような役が多いのもよくみて知ってはいるのですが、その本性に磁力のようにしがみつき、漏れてみえてくるのはやっぱり、ヒトの業に携わるえにしの何か、というふうに感じられてしかたありませんでした。
中野靖子は、どうにも、そういう蒼井さんにはぴったりの、なんというか、この役のために女優の道筋があったのか、というような役柄です。
ドラマが、宮本の奔走で区切られ、映画は靖子で回転する。このもっていき方、うまかったと思います。
宮本から君へ 1
「宮本から君へ」の物語の中でこころを奪われるもの、いくつもあるのですが、何度も何度も読み直すうちに顕在化してきたのは「マルキタ」の存在でした。
社員の人格を、定量定数化してはかり判断の軸をかざす。会社の経営にあたって人事とはそうなくてはならないものですし、それをどうのこうの、とは思いません。
思わないよう、調練してきた自分だからこそ、この物語の中のこの会社のあり方に違和感を超え、深甚深いものが生じるのでしょうね。
わたしのはなしで恐縮ですが、宮本と比べるとまだ、わたしのほうがトラブルというか運命に翻弄されるリアルの点で上で、物語を超えてます。
それでも、この物語に、圧倒的にこころを打たれます。
宮本の物語を、暑苦しいとか昭和的でリアリティに欠くとか、所詮、漫画だとかいうのは、もちろん、それぞれの勝手です。でもそれってほんとは、自分の人生の露払いに、いちいち感想もっててもめんどうくさい、というこころの反応の置き換えなのではないでしょうかね。
生まれ出たこと、生きていくこと、出会うこと、別れることのそれぞれを、あんまりよく考えたことがない、というだけのことではないのでしょうか。
印象の魔法 2
で、いまはまるで、少年のよう。
ジージャーを捕まえて!!
ジージャーの活動情報、坐していて入るはずも無いのは当たり前だとしても、このごろは、探しても結局、推測の域を出ないようなお話ばかり。
でもなんとなく、これって、深く広がる動きが隠されながら推進しているということの信号のようで、ちょっと期待してしまうのです。